1万年前・・・・・???
想像もつかない世界に犬島で出会えるという。
1月21日(土)『犬島貝塚調査保護プロジェクトチーム』の現地活動を
島島ラジオで現地中継するために同行の機会を頂いた。
同行させて頂く前に、チームの代表 徳島大学埋蔵文化財調査室 助教の遠部 慎(おんべ しん)先生に
このふしぎな世界『縄文時代の瀬戸内海誕生』の物語の入り口をを伺った。
徳島大学・遠部 慎(おんべ しん)先生
――― 先ず、犬島貝塚の場所を教えてください
岡山市唯一の有人島、犬島本島の西約300mにあり、南北の大小2つの島からなる
『地竹の子島(じたけのこじま)』の北の小さい島の頭頂部(高さ約13m)にあります。
中央の犬島本島から西(左)の貝の印のところ。

上から見た『地竹の子島』 ・・・北(上)の小さい方の頭頂部にある。
――― どんな貝塚ですか
1980年、岡山県西大寺の小野伸(しん)さん、勢(せい)さんの双子のご兄弟によって発見されました。
年代測定により約1万年前の縄文時代早期のものと確認しており、岡山県最古かつ、
西日本最古級の貝塚です。
日本中でも古い貝塚ベスト10に入ります。
1万年前から縄文時代前期にあたる6千年前にかけて、温暖化による縄文海進(海水面の上昇)が
ピークとなり、今の瀬戸内海ができました。その過程を明らかにするための貴重な遺跡です。
2007年までは、遺跡名もついてなく、ほとんど知られていない貝塚でしたが、
調査の結果、瀬戸内海における約半世紀ぶりともいうべき縄文時代早期の貝塚として認識されました。
1つの島に2か所の貝塚が存在しており遺跡の保存状況は極めて良好で、
数多くの新しい学問的発見があります。
――― どんな時代だったんでしょう
1万5~6千年前まではとても寒く、海面は今より100~140mほど低く、
瀬戸内海は完全に陸化しており、ナウマンゾウやヤギュウが歩いていました。
その後、温暖化により海面が上がりはじめ、約1万年前には、大分側(九州)と大阪側から海水が
流入して瀬戸内海が形作られつつあったあった時代です。
その頃の海水面は今より40mほど低く、犬島貝塚周辺は汽水域(真水と海水の混ざった水質)であった
と考えられ、まさに瀬戸内海の始まりの頃です。
――― 貝塚の他に、古墳も見つかったそうですね
驚きました。
調べると、貝塚の上に前方後円墳が乗っていました。普通はない事です。
江戸時代に盗掘(墓荒らし)されたらしく、今は手掛かりが残ってないので誰の墓かはわかりませんが、
海面が低い当時の地形では見晴らしがいい高台の場所であり、地元の権力者だと考えられる。
あるいは、位置からして海の民の有力者の可能性もあります。
この遺跡からは、
旧石器時代の ナイフ
縄文時代の 土器、石器、石のヤジリ
古墳時代の 石棺、高坏、鏡
江戸時代の お墓、銭
明治時代の ガラス製品
などが発見されていて、人類の歴史1万年分をパッケージした貴重な遺跡といえます。
1月21日(土)、『犬島貝塚調査保護プロジェクトチーム』の定期調査活動に同行して
いよいよ縄文時代への旅がはじまった。
犬島本島から船で『地竹の子島』に向かう。
『地竹の子島』が目の前に見えてきた。
砂州(さす)から慎重に上陸する。
先ず、貝塚を見る。
島の真ん中が崩落し左右に分かれている。右の小山の崖面に貝塚の層が見れる。
上の写真の右端の断崖に回ってみた。

古墳の四角い側。崖面の上から少し下の黒い土の下に貝の層が見える。
東西9m、40cmの幅の層が広がる。
小山の頭頂部に上がってみた。

小山の頭頂部で前方後円墳の丸い方を見ている。 測量図の少し色が濃い部分が前方後円墳。
上が丸い。
丸い方の崖面を見てみた。
貝の層が見れる。こちらの面は、東西11m、30cmの幅の層で広がっている。
古墳の上にはお墓がある。

卵塔型石塔 香川県の豊島(てしま)石制との事。江戸時代のものらしい。
海岸で遺物を探してみた。

縄文時代の押型文(おしがたもん)土器のかけら。 こうやって作るらしい。

ハイガイ。 押型文土器(左)とタニシ(右)(淡水系)
貝塚層を現地からそのまま取り出し、実物の記録として残す作業を見た。
『剥ぎ取り』という。
岡山理科大・生物地球システム学科 准教授 富岡 直人(とみおか なおと)先生指導の下で行われていた。

富岡(とみおか)先生にお話を伺った。
――― どんな作業なんですか
先ず、現地の小山の頭頂部で大きな穴を垂直に堀り(1辺5mの落とし穴のようなもの)
その断面の貝層を含む地層を布で覆い薬品を使って固定(固める)します。
固まったら表層をバリバリと剥がし、持ち帰って丁寧に洗いボードに貼って記録として保管し、
展示にも使います。
固定から剥ぎ取りまで8人ががりで2日ぐらいかけてやります。
絵や、写真では残らない実物ならではの迫力ある記録となります。
――― なろほど、バリバリと剥がすので、ハギ取りなんですね。
露出面の方が作業が楽だと思うでしょうが、壊れやすいのでわざわざほるんです。
記録として残す行為ですが、1つ間違えば破壊行為となります。十分注意が必要です。
横5m・縦1.3~1.5mが2枚ある。上が地表、下が地中。
剥ぎ取りの時、地層断面を覆った布(裏面)に薬品でくっついている。
近づくと貝層が見れる。(地表(上)から50~60cmぐらいのところ)
幅30cmぐらいの貝層で、約2~300年かかってできたと考えられている。

なんども水洗と乾燥を繰り返し、表面をきれいにする。 最後にこのパネルに貼って完成し保管する。
今まで出土した数百点の遺物の一部を岡山理科大で見せて頂いた。

縄文時代の石器 やじり類

古墳時代の土師器(はじき) 古墳時代の高坏(たかつき)・・さかさまに撮った(部分を修復している)
今日一日、『犬島貝塚調査保護チーム』の方々とご一緒させていただいた。
暑いとき、寒いとき、晴れの日、雨の日を問わず有志でこの遺跡の維持・保護にご尽力されている。
皆さん生き生きとされていて、活気があった。
遺跡のある風景を保護し次世代に伝えるために2007年に発足し、今年も定期的に活動される。
参加ご希望の方は、徳島大学・遠部先生までご連絡ください。
徳島大学・埋蔵文化財調査室 : 088-633-7236。


遠部先生、富岡先生、石井さん、楠原さん、岡嶋さん、横山さん、市村さん、古賀さん、太田さん、
ありがとうございました。
幸運なことにその夜、犬島貝塚の発見者・小野さんご兄弟にお会いできた。

当時の事を懐かしく語る第一発見者の小野勢(せい)さん(左)と伸(しん)さん(右)、双子のご兄弟。
高校1年生だった当時、新聞配達をして島に渡る船賃にしていた。
2007年に遠部先生と相談の上、『犬島貝塚』と正式命名した名付け親でもある。
今年50歳になるお二人とも、犬島貝塚の話をするときは目が輝いていた。
今回、皆さんのお話を聞いて知った。
瀬戸内海は、
約2万年前の陸地から、1万5千年前以降の温暖化により海水流入による海面上昇がはじまり、
1万年ぐらい前には、今の海面から40mぐらい低いところまで上昇した事。
その後も海進が進み、6千年前には4mほど逆に今より高くなり、
今の海面になったのは2千年前ぐらいといわれている事。
犬島貝塚をはじめとする、瀬戸内海の貝塚遺跡群は、新しい海・瀬戸内海誕生のプロセスを
読み解く鍵となるという。
遠部先生はいう。
『近年台風など自然災害により遺跡を守ってきた樹木が倒れ、貝塚そのものの崩落が進行しています。
犬島貝塚保護のための対策が必要です。
今後、『瀬戸内海の縄文時代の貝塚』というキーワードで瀬戸内海の島々がつながる中で、
チームの活動が、瀬戸内海創造プロセスの解明に寄与できれば何よりの喜びです。』
1980年、小野さんの発見した犬島貝塚を含む瀬戸内の遺跡群による、
1万年前の瀬戸内海を訪ねる物語はこれからますます面白くなりそうだ。














